「私と県立美術館」エッセイ 第二回


 
 「私と県立美術館」のエッセイ第二回は、福島大学経済経営学類の神子博昭さんからです。
 ご寄稿ありがとうございました。
 
 県立美術館は福島大学経済学部(当時)の移転の跡地に建てられたものです。
 経済学部のあった森合の様子を懐かしく思い出される方もいらっしゃることでしょう。

 また、美術館裏手への散策も、現在ー過去の時間の隔たりと積み重ねを感じさせてくれるようです。
 昔日の美術作品の前に立つのと同じですね。
 
 とても素敵なエッセイです。どうぞお読みください。
     




                  青空と野仏

 森合の敷地を正面から入っていきますと、右手に図書館、左手に美術館、なかほどにレストランがあり、その背後に信夫山、さらにそのうえに一面の青空がのぞまれます。この開放感には、いつも心うごかされます。もし天国にもこんな青空がないとしたら、わたし、天国になぞ行きたくはありませんわ。―― ハンガリーのエステルハーツィ家のピアノ教師となったシューベルトに、皇女のひとりがそう語る場面がペーター・ヘルトリングというひとの小説にありますが、美術館のうえの青空は、いつもその場面を思いおこさせてくれます。

 御存知のとおり、ここの敷地には1981年3月まで福島大学経済学部の校舎が建っていました。1年間わたしもそこで働きましたが、はじめて訪れて感動したことがふたつあります。ひとつは、校舎が木造の二階建て、おまけにすばらしく老朽化していたことでした。母校の高校に舞いもどったかのような心地でした。もうひとつは、市内と温泉を結ぶ飯坂電車の小さな駅が、大学正面のすぐ近くにあることでした。この小さな駅は、これまた故郷の(とはいえ、実家のある町からは少し離れてはいるのですが)、犬吠崎と市内とを結ぶ銚子電鉄を思いおこさせてくれました。森合で乗車して、思わず電車の床を見わたしてしまいました。さすがに車輌の床の割れ目から、枕木や線路が見えるということはなかったのですが。

 美術館で斎藤清やアンドリュウ・ワイエスを見るのももちろん楽しみですが、もうひとつ、美術館のうしろの信夫山にのぼるのも、ひところは楽しみでした。美術館の裏手からのぼってゆくと、信夫山の西のはずれの烏ヶ崎に着きます。信夫山にはいくつか展望する場所がありますが、ここからのながめは無類です。むきだしの岩が崖につきでていて、いきなり吾妻山や、眼下の市内の眺望に向き合い、強い風に吹きさらされることになります。この山は小さいながらも修業の場として、昔から山伏や信者らの踏みかよったところですが、大風の吹く闇のなか、ここ烏ヶ崎に立ちつくすことは、むかしの修業をしのぶよすがとなるのではないでしょうか。いちど、ぜひためしてみたいと思っています。
 烏ヶ崎へは、つづら折りの道が整備されているのですが、山の斜面をよくまっすぐのぼったものです。あるかないかのひとの跡をたどってゆくと、途中、いくつもの野仏に出会います。顔や体の表面は磨滅し、彫られた文字ももう判読できないのですが、南や西に向け、つつましくすえられているのです。行きだおれのひとへの供養なのでしょうか。それとも家族のだれかを弔ったしるしでしょうか。あるいは、こどもの病の回復を願ってのことでしょうか。石をきざみ、ここにすえたひとたちの掌と指の節々を思います。
                              

                           
                               
 
   
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by smcf | 2009-09-23 15:44

「美術館とまちづくり」研究会が、福島県立美術館の楽しみ方や文化的生活の提案などをお届けするブログです
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