ワイエス展に寄せて

創作の動的過程(ダイナミズム)に立ち会う ―― 「アンドリュー・ワイエス」展に寄せて

 文学研究の対象として近年草稿(下書き)が重要視されている。決定稿には現れなかった創作意図を草稿に探るのである。私たちは作家の思いの多くをそこに見ることができる。着想、思索、逡巡(しゅんじゅん)、決断…。削除や書き込みの一つ一つが、創作への真摯さの表れである。  
 
 フランスの小説家マルセル・プルースト研究では草稿は必須資料ともいえ、研究の末席に座る私もしばしば草稿にあたる。パリの国立図書館でしか草稿を見ることができなかった時代には、そこに行くことが研究者の最良の仕事であり、それは一種特権的な場であった。草稿の閲覧が容易になった今も、私はその貴重さを感じざるを得ない。そこには感謝の念とともに、作家への申し訳なさもある。創作過程を見ることは日記を盗み読むようなこと、研究目的とはいえ失礼極まりない行為ではないか、と複雑な思いに駆られるからだ。
 
 前置きが長くなったが、絵画には門外漢の私が今回のワイエス展に大きな驚きと感動を覚えたのは、こうした事情による。つまり、草稿にあたる習作から、決定稿=完成作品への「道程」が、いわば曝け(さらけ)出されているからだ。
 
 着想の具体化や画面構成、細部の正確な描写などが習作の目的だろう。しかしワイエスにおいては、習作は本質だけを残して最終画面に向けて吸収されていくかのようだ。何を如何(いか)に描くかの取捨選択の動的過程(ダイナミズム)を目の当たりにした後で出会う完成作品は、すでにただ一枚の絵ではない。それは描くべき対象の在り方を求める作者の使命にも似た思いの総体である。静かな日常のかけがえのない一瞬と普遍は、そうして画布に残されたのだ。

 もちろん難しく考えることはない。透明で清涼な画面に、一服の安らぎを覚えるもよい。桶(おけ)一杯のブルーベリーに、素朴ながら心豊かな生活を夢見るもよい。寂寞(せきばく)とした冬空や静かに憩う親しい人の姿に、郷愁の念をかきたてられるもよい。単純に見た者に深い感動を与える力をワイエスの作品は持っているのだから。

 しかし、やはりこの展覧会は、画家の創作過程に立ち会える希少な機会なのだ。人間の強さと儚さ(はかなさ)、見慣れた日常の美しさを切り取ったワイエスの世界をさらに深く知りうる、特権的な場と時間を味わおうではないか。



※ この記事は、研究会のメンバーが福島民報に寄稿し、五月四日版に掲載されたものです。
  筆者によるルビなど修正の上、ここに転載・再掲いたします。

福島県立美術館のアンドリュー・ワイエス展は、
今月10日まで開催しています。
今年1月のワイエスの逝去により今後こうした展覧会が開かれるかは未定です。
ぜひお見逃しなきようお出かけください。
美術館HP


 
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by smcf | 2009-05-06 15:10 | ワイエス展 

「美術館とまちづくり」研究会が、福島県立美術館の楽しみ方や文化的生活の提案などをお届けするブログです
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